毎年、鴨川のほとりで点火を待っていると日の暮れるのが早くなっているのが体で感じられて夏のピークが過ぎ去ったことが実感されるのだが、生活の中の区切りをつけるべき時期に、こういった行事がさらりと自然に組み込まれているのはさすがは千年の古都・京都の凄いところだろう。ちなみにこの送り火は別に花火が上がるわけでもないし、山の上に積み上げた薪を淡々と燃やすだけの地味系の宗教行事なのだが、それでも毎年見ておきたくなるのは今までも、そしてこれからもずっと変わることのない人々の営みに対する安堵感のようなものが感じられるからなのかも。 これって保守的とか懐古的というのとは微妙に異なる感覚なんだけど分かってもらえるかな?
ついでに言っておけば個人的には今日が夏休みの最終日。写真三昧に区切りをつけて明日から仕事がんばります(笑)
*京都新聞:五山の送り火
・2009年の五山の送り火~「東大文字」 *クリックで拡大します
点火直後は煙がすごい(左)。右端は鴨川河川敷から見えた「妙・法」の法